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説教と聖書

2019年10月06日 
「人を裁くな」       マタイによる福音書7:1〜6    常石召一牧師

  イエス・キリストは「人を裁くな」と言われます。裁くという言葉は、善悪を判断する、という意味で、裁くためには基準が必要です。その基準について、イエス様は「『あなたの目からおが屑をとらせて下さい』とどうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか」と言われます。おが屑と丸太とは重さにして1万倍以上の違いがあります。自分の問題は人の問題の1万分の一以下の感度でしか受け止めることが出来ない、ということです。この箇所でイエス様が戒めておられるのは、自分が裁かれる者であることを忘れてしまうことです。人は最終的な裁き主であられる神様に裁かれるのです。その裁きは決定的ですが、イエス・キリストを信じる者は恐れる必要がありません。イエス・キリストが身代わりとして裁きを受けられたからです。

2019年10月13日 
「地上の諸国民はすべて」  創世記22:1〜18      長谷川はるひ神学生

 

2019年10月20日 
「良いものを下さる神」   マタイによる福音書7:7〜11   常石召一牧師

 イエス・キリストは、「求めなさい。そうすれば、与えられる」と言われます。非常に有名な言葉ですが、いくつもの疑問が湧いてきます。一つ目は、何でも求めても良いのかということです。もちろん何でも良いわけではありません。自分勝手な、社会に悪となるようなもの、神様が悲しむようなことがいけないのは当然です。二つ目の疑問としては、ではその願いが正しければ、神様は必ずかなえて下さるのかということです。振り返れば私たちの人生は、求めたことがかなえられなかったことの積み重ねなのかもしれません。しかしイエス様が求める対象の中心に置いておられるのはご自身です。イエス様はご自身を求めることによって、罪の赦しと、神と共にいる平安を与えようとしておられたのです。その求めこそが人にとって最良のものです。それが聞かれないことはないのです。


2019年10月27日  
「この場におられる神」   創世記28:10〜22     大宮季三芸陽教会牧師

 イスラエル民族の始祖であるヤコブは、兄エサウと父イサクを騙し神の祝福を掴み取ろうとした結果、エサウの殺意を買うことになり、逃亡の旅に出ることになった。 ヤコブは疲れ果て、「この場所に神はいない」、「ここで神の祝福は期待できない」という状況で「とある場所」に横になった。しかしここがヤコブにとって記念すべき「ベテル(神の家)」という場所となる。 神はヤコブに、天にまで届く階段を見せ「あなたと共にいる」という言葉を与えられた。イエス・キリストのご存在と御業は、神と、罪の故に神と隔たりを持つ人間とをつなぐものであった。私たち一人ひとりには聖霊が宿り、イエス・キリストを通して神との交わりがどこででも与えられる。 「ここに神はいない」という生活の場面の中にもまた「神は共におられる」。そこでこそ神はあなたとの交わりを深めてくださる。


                

2019年11月の説教予定

日 時 説教題  説教者 聖書
11月03日 「人生の黄金律」 常石召一牧師 マタイ7:12
11月10日  「命に通じる門」 常石召一牧師 マタイ7:13〜14
11月17日 偽りの言葉を見分ける」 常石召一牧師 マタイ7:15〜23
11月24日 「人生の土台」 常石召一牧師 マタイ7:24〜29

                
 

日本キリスト改革派大阪教会

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TEL/FAX 06-6322-4703

牧師  常石 召一